ここでは、
「育児ストレスでうつ気味だった私が立ち直り、ハンドメイド作家になった”きっかけ”」
についてお話します。
こんにちは、ハンドメイド作家“のの製作所”です。
私は“ペーパークイリング”という手法で、紙でアクセサリーを作り、オンラインショップで販売しています。
例えば、このような商品です↓
主にハンドメイドサイトminneで活動していて、ショップをオープンしてから二年程で400点以上のご注文を受け、作品をお届けしてきました。
ありがたいことに現在は、お客様から温かいお言葉を掛けてもらうことも多い私ですが、
数年前まで、ハンドメイド作家になるなんて夢にも思わない、疲れ切った引きこもり主婦でした。
なぜ疲れ切った引きこもり主婦が、お客様に喜ばれるハンドメイド作家となったのか。
というわけで今回は、
ボロボロに疲れ切った主婦がハンドメイド作家になった、ちょっとした“きっかけ”について書いてみようと思います。
気になる方は、長くなりますが、よろしければぜひ最後までお付き合いください。
この記事を読んで、
仕事や家事育児に忙しい方に、
何かあなたらしい楽しみを見つけるきっかけになれば幸いです。
子育てが一段落した人は、懐かしい気持ちになれるかもしれません。
家族のために、自分の時間や労力、精神力の大部分を割かざるを得ない女性が、「自分自身の喜び」を感じるきっかけになればいいな、と思っています。
もくじ
真面目な良い子タイプの私
私は昭和57年、新潟県の燕三条地域で生まれました。
燕三条は、職人が多く“ものづくり”が盛んな地域。
ノーベル賞晩餐会で使われる洋食器の産地としても有名です。
私が子供の頃は、
近所に、家族でやっているような小さな工場があちらこちらにあり
金属をトンテンカンテン叩いている音や、
プレス機が動いている音がしたり、
ちょっと前を通れば誰かが金属を研磨している様子がみられたものです。
三人兄弟の真ん中で、
兄と弟に挟まれた、たった一人の女の子だったせいか、両親や祖父母に大層可愛がられました。
あたりには田んぼが多く、夏はセミやカエルがうるさく鳴き、冬は雪が降り積もりしんと静まり返る。
そんな家で、のびのびと育ちました。
祖父は、アマチュアの画家
展覧会や歌舞伎などが大好きで、よく連れていってくれた母
手先が器用で、工作で何でも作ってしまう兄
彼らのおかげで、日常的に素敵なものを目にしたり、何かを自分で作り出すのが当たり前と感じるような環境でした。
自分でいうのもなんですが、“真面目な良い子タイプ”だったので、学生時代勉強は程良くできましたし、
気の合う友人に恵まれ、先生や先輩には可愛がられる方でした。
社会人になってからは、
結婚や、突然の夫の転職による転居など、やむを得ない事情で退職せざるを得ないことが何度もありましたが、
いつもご縁に恵まれ、希望の仕事に転職することができていました。
もちろん人並みに悩むこともありましたが、わりといつも満たされていて。
何かあっても「真面目に頑張れば、なんとかなる!」と力技で乗り切ってきました。
頑張っても、何ともできないこともある
大きな挫折経験が少なく、「真面目に頑張れば、なんとかなる精神」で生きてきた私ですが、
結婚や出産を経て、状況が変わっていきます。
というのも、子供達のいる生活は「頑張っても報われない」の典型。
私一人が頑張っても、思い通りにならないことの連続だったのです。
例を挙げればキリがありませんが、
特に印象的だったのは、次男を出産した後、再就職活動に大苦戦した時のことです。
再就職しようと子供達を保育園に入れられたのは良かったのですが、
慣れない保育園生活のせいか、
長男か次男のどちらか(もしくは両方)が体調を崩す日が続き、そもそもろくに面接自体受けられない状態でした。
やっと面接を受けられるようになり、「会社に頑張って自分をPRしよう!」と意気込んでも、
面接では
「私自身が何ができるか?」
「どんな能力があるか?」
は、全くと言っていいほど聞かれませんでした。
代わりに必ず聞かれたのは、
「お子さんが熱を出したら、どうしますか?」
時々は実家のサポートもお願いできるかもしれませんが、
子供が熱を出したら、主には私が休んで看病するしかありません。
そう答えたせいなのかなんなのか、私を採用すると言った会社はありませんでした。
今まで真面目に働いてきたし、仕事ぶりを評価されたこともあったのに。
「子育て中の主婦になったら、私自身を見てくれることはないんだ…」
と虚しくなったのを覚えています。
さらに当時、精神的に辛かったのが、長男の激しい登園拒否。
過去のブログにも残していますが、それはもう精神的にも体力的にも消耗する毎日でした。
私って何だろう。空っぽの自分
「子供ありき、夫ありきの自分でいたくない」
「私にはこれが出来る!と、堂々と言いたい」
いつもそう思っていましたが、現実の自分は子育てに苦戦してるし、仕事も見つけられない。料理も苦手。
全然、何も上手にできない。
一歩外に出れば、私は「〇〇君のママ」「〇〇の奥さん」としか呼ばれない。
私は子供や夫の付属品みたいな存在でしかないんじゃないか。
「私って何なんだろう」
毎日疲れていて、使い古されたしわくちゃのビニール袋にでもなった気分でした。
気がつくと、無意識のうちに涙が出ていることが増えました。
夫や子供達のことは大切で大好きで、一緒に居られて幸せ。
だけど、いつも虚しいような気持ちがありました。
気がつけば何をするにも、
「子供が喜ぶか」
「家族の都合を邪魔しないか」
を優先して行動するようになっていて、私自身がそれをしたいのか、好きかどうかは考えないようになっていました。
そのうち、私は何が好きなのか、何をしたら楽しいのか、自分でもわからなくなっていました。
昔は好きだったスカートを殆ど履かなくなり
美容室へは限界にならないと行かなくなっていました。
長男を出産後から、
「赤ちゃんに危険がないように」
とアクセサリー類は一切しなくなっていました。
「自分がそれが好きか」とは考えず、育児を優先するために
「洗濯しやすい服」
「動きやすい服」
「荷物がたくさん入るバッグ」
ばかり選び、どんどん身なりにかまわなくなっていって…
こうして、誰かに強制されたわけではないのに、
私は、いつの間にか「パッとしない空っぽの自分」になっていました。
たった一つのアクセサリーで、心が生き返った!
そんなある日、高校の同窓会に参加することになりました。
十数年ぶりに会う同窓生たちもいます。
「こんな時くらい、いつもより少しくらいオシャレをしたい」
と、一つだけ新しいピアスを買うことにしました。
色々吟味して、久しぶりに買ったピアス。
さっそく着けて、鏡を覗くと…
「あれ…?
格好はいつもと同じなのに、
いつもよりずっと良い感じじゃない…?」
鏡に写った姿を見て、これ以上ないくらいパアッと気持ちが明るくなりました。
「たった一つのアクセサリーで、こんなに嬉しい気持ちになれるんだ!!」
その時、子供も夫も関係ない「私自身の喜び」を何年かぶりに味わったのでした。
まるで心が生き返るような気がしました。
「私もまたこんな感情を味わえた…!」
と、嬉しくてたまりませんでした。
その時着けたピアスは、デザインは気に入っていたものの、とても重くて耳が痛くなるのと、素材が肌に合わなかったので、次第につけなくなりましたが、
この体験は、私にとっては大きな出来事となりました。
より良いアクセサリーを求めて…ペーパークイリングとの出合い
「たった一つのアクセサリーで、嘘みたいに気持ちが明るくなった」
このことをきっかけに、
「もっとつけ心地の良いアクセサリーが欲しいなぁ」
「チープな感じではなくて、大人も着けられるしっかりしたものがいい」
「ありきたりのデザインでは面白くない…」
と、あちこちのショップを覗いては、アクセサリーを探し回る日々がスタートしました。
アクセサリー探しをしていたある日、偶然「ペーパークイリングアクセサリーの本」を見つけました。
「あ!自分で作るという手があった…!」
その時の本がこちら
この時、「ペーパークイリング」というものを初めて知ったのでした。
(ペーパークイリングとは、細長い紙をクルクル丸めて作るアートです)
ちなみに、表紙に「針も糸も使わない」とあったのが、購入の決め手でした。
針仕事が大の苦手な私にとっては、
「これは私のためにある本だ」
と感じたのです。
初めは「ちょっと面白そうだな」と軽い気持ちでしたが、この本を手にしたことが私の生活を変えるなんて、この時は思っていませんでした。
今となってはこの時、
「本買ってもどうせ作らないし」
などと、ためらわなくて良かったと心底思います。
オンラインショップオープン
本を見て初めて作った、紙のイヤリングは、驚くほど軽くて楽でした。
しかも自分好みに作れるのが、たまらない。
もともと”紙”が大好きな私。
(紙が好きだったことも、この時まですっかり忘れていました)
小さいころから工作したり、大人になってからも子供と工作を楽しんだりしていた私にとって、
紙はとても自由度が高く、創作意欲を刺激される素材。
普段何気なく使っている薄っぺらい紙だけれど、
自分次第でどんな形にでも変身させることができます。
作っても作っても、まだまだ新しい物を生み出せる楽しさがあり、
みるみるうちに「ペーパークイリング」にハマっていきました。
実は、この頃私はアクセサリー素材の販売会社でパートをしていました。
仕事柄、ハンドメイド作家の存在を身近に感じていたため、
ごく自然な流れで
「私もこれを売ってみよう」
と思いました。
私が久しぶりにピアスをつけて心が生き返る気がしたときのように、
「私のアクセサリーが誰かの喜びになったら最高だな」
と思ったのです。
そうしてショップをオープンさせ、約2ヶ月後、初めてのお客さまにアクセサリーをお届けすることができました。
お客様には大層喜んでもらえました。
(ちなみにこんなお店です↓
“のの製作所”のお店を見る)
販売をしてみて感じたのは、
「お客様とのやりとりって楽しい!」
「自分が作ったものを知らない方に選んで頂けることが嬉しい!」
「作るのが楽しい上に、お客様に喜んでもらえるなんて、こんなに良いことがあっていいのかな?」
ということでした。
そして、
「もっと喜んでもらいたい!」
とお客様に届け続け、現在に至ります。
現在は家でできる仕事として、
楽しみながら収入を得ることができています。
ほんの数年前までには考えられなかった働き方ができていることに、
自分自身が一番驚いています。
また、
ハンドメイド作家“のの製作所”としての私はもう、「夫や子供達ありきの私」ではありません。
「私は、紙を使ってお客様に喜んでもらうことができる!」
今は堂々と、そう言えます。
「私の喜び」を得た結果…
「育児ストレスでうつ気味だった私が立ち直り、ハンドメイド作家になった”きっかけ”」は、
たった一つのピアスをつけた経験を経て「ペーパークイリングを知ったこと」でした。
ただ、ペーパークイリングを知ったことは「紙のアクセサリーを作れるようになった」という単純な話では終わりませんでした。
ペーパークイリングで「私自身の喜び」を感じたことは、私の生活に変化をもたらしました。
それは、自信を持てるようになったこと。
「自分の生み出したものでお客様に喜んでもらうことができる」と思えるようになってからは、
「私って何なんだろう」
と虚しく思うことがなくなりました。
このことは全く関係ないことのようですが、まぎれもなくペーパークイリングを始めたからこそ得られた結果でした。
さいごに
今日は、
育児ストレスでうつ気味だった私が、ハンドメイド作家になったきっかけを書いてみました。
子育てをしているママにとって、”自分で自分を満たす時間”
ってかけがえのないもののように思います。
知らず知らずのうちに、日常生活の優先するべきものが変わっていく中で、
どうしても自分のやりたいことを後回しにしてしまう方も多いと思います。
私自身もそんな渦中に飲み込まれそうになっていた一人ですが、
小さなきっかけの糸を辿っていった先に、アクセサリー作りと作品販売というものを見つけることができました。
自分に自信が無い、もっと日々を楽しくしたい、自分を変えたいと感じる方がいたら、
「面白そう」「ちょっと気になる」と思うことを、とりあえずやってみることをオススメします。
それがもしかしたら、あなたの生活を変え、自信に繋がることになるかもしれません。
今日は私自身の活動のきっかけを書いてみました。
何か参考になることがあれば幸いです。